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ボンネットの上の猫
私の思い出話的な一作です。
・・・・・・ 今の時期はこの場所が一番好きだ。 三月に入ったとはいえ春はまだ浅く、空気は冷たい。特にこの季節、昼間暖かかったからといって油断していると、朝晩の冷え込みがきつい時がある。 全身が毛に覆われているからといってもやっぱり寒いものは寒い。外猫(家の中でなく外で飼われている猫)の身では車庫の隅の古毛布に潜り込む事がせいぜいだったが、ある日私はこんないい場所を発見してしまった。 自動車の上のそこは、中に「えんじん」というものがあるらしく、動いてない時でもほんのり暖かい。表面はツルツルしてはいるがほとんど平らなので滑る事もない。家主には「足跡が付く」とぼやかれるが、ふん、それが気に入らないならもっといい場所を提供してくれればいいのだ。 車庫の外から射す朝日で目が覚めた。もう朝か。 本来は夜型の猫族にも関わらず、最近、朝まで眠ってしまう事が多くなってきたように思う。歳のせいか、それとも… 「おはよ、にゃんこ」 ……またこの娘か。 私が目を開けるのも待たずに、伸びてきた手が私の背中を撫でた。 気持ち良くないと言えば嘘になる。彼女の手つきは優しく、私は猫族の常として撫でられるのは嫌いじゃない。が… ふわりと風に乗って、仄かな匂いが鼻をくすぐった。彼女の背には大きな羽が付いている。その匂いだ。 こんなかたちの他の人間を私は今まで見たことがないが、それはともかく、その羽は私の本能を少なからず刺激する。私も若いころは、好んでスズメをよく獲ったものだ。鶏がいればそれにも挑戦したに違いない。 今は年を取りそんな事もなくなってしまったが、これだけ大きい羽を目の前にちらつかせられては、否応なくその時の気分を思い出すというものだ。とうに落ち着いたと思っていた自分にまだこんな感覚が残っていたとは、となかなか複雑な気分にさせられる。 「ほんとに可愛いな、おまえ」 彼女の指が私のあご下に滑り込んで小さくくすぐると、気持ちよさについ目を閉じて首を伸ばしてしまう。彼女はなかなか手つきがいい。 「またその猫いじってんのか?」 彼女の後ろからひょいと、やさ男が顔を出した。 やっぱり今日もこいつと一緒か。 「いいのか?人んちの車庫に入って…」 「大丈夫だろ。シャッターは閉まってないんだ」 「なんでこの猫、車の上なんかにいるのかな?」 「あったかいんだろ。猫はその時期その時期で一番快適な所を探して居場所にするもんだからな」 「ふぅん」 会話の間も彼女はずっと愛しげに私を撫で回し、彼はそんな彼女を優しく見つめている。 この二人、一体どんな関係なんだろう。よく一緒にいるのを見るが、恋人…には見えないな。大体華やかな外見の彼女と、どっちかっていうと地味な彼では釣り合いが取れない。 「お、こいつ三毛なんだな。メス?」 「そうみたいだ」 彼女は私の尻尾をつまみ、お尻を見て言った。 「惜しいな、オスだったらすごく貴重なのに」 「何で?」 「三毛のオスは、遺伝の関係から言ってありえないらしいんだ。それでもすっごく稀にオスが生まれることがあって、それは船乗りの守り神として大事にされるんだってさ」 「ふうん、何で船乗りなんだろ…まあ、オスでもメスでも、おまえの猫じゃないんだから関係ないだろ」 「そりゃそうだけど」 そうだ、おまえには関係ない。大体船に乗るなんて真っ平だ。私は起き上がってお尻を上げ、う~んと伸びをした。 「可愛い!」 「何だか結構ばーさんみたいだな。尻尾つままれても怒らなかったし」 ばーさんで悪かったな。齢15、人間で言えば還暦をとっくに過ぎている。子供みたいにいちいち動じていられるか。それに、おまえらにとってみれば人生(猫生?)の大先輩なんだから、もっと敬うように。 なかなか私の元から動かない彼女を見て、彼はあきれたようにため息をついた。 「それにしてもおまえ猫好きだよな。…俺は犬の方がいいけどな」 彼女は不満げに口を尖らせた。 「えー、何で?犬なんてしつけしなくちゃならないし、散歩は毎日連れて行かなきゃならないし、噛まれると怪我するし…第一、手触りが猫の方がいい。犬は硬くて嫌だ」 「確かに。…でも犬の方が忠実で、けなげな感じで可愛いと思うけど」 「……」 彼が何気なく言った言葉に、彼女の瞳がいたずらっぽくきらめいた。 「そうなんだ」 「何が?」 「おまえの好み。女でも、けなげで可愛くて人懐っこいのが好きなんだろ」 彼はしまったという顔をして、あわてて言った。 「だれもそんな事言ってないだろ」 「ふん、同じようなもんだ。昔からおまえの気に入ったアイドルもみんなそんな感じだったしな。あの時の…」 「わ~っ!」 彼は冷や汗を流しながら激しく顔の前で手を振った。私はなんだか少し、こいつが気の毒になってきた。 それを面白そうに眺めていた彼女が立ち去ろうと身を翻すと、彼は必死の表情で引き止め、自分の方に向かせた。 「からかうなよ、わかってるくせに。…実際好きになった女の子はそれと逆だったんだ。自分でもびっくりだけど仕方ないだろう。動物の好みとは違うって事がよく分かったよ」 「……」 さっきまでの雰囲気から一変、二人ともしばしお互いから視線を逸らして恥ずかしそうにしていたが、突如彼女が彼の手を振り払って言った。 「逆で悪かったな」 背を向けてさっさと出て行く彼女を、彼はまたしても慌てて追いかけるはめになった。 なんてことはない。結局お似合いの恋人なんじゃないか。 喧嘩しているようでもどこか楽しそうな雰囲気の二人。朝っぱらから、それこそ人んちの車庫で何をしているのだ、ばかばかしい。再び静かになった車庫で、私はひとつあくびをして顔を洗った。 最近、妙に昔のことを思い出す。 この私にも過去に何回か出産の経験がある。いつのまにかそれぞれ違う所に引き取られていった子供たちも、もう大きくなっていることだろう。っていうかもう老猫だな。私のように長生きしているといいが。 子猫だった私を寒い夜布団に入れてくれた、家主の娘。大きくなって嫁いでいったあの子は元気でやっているだろうか。そういえば一回、彼女にそっくりな赤ん坊を抱いているのを見た。 今日はいい天気になりそうだ。 こんな日には、ふっと誰かにどこかで呼ばれているような気がすることがある。 最近その感覚は次第に強くなってきている。そしてそれが頂点に達した時、私は二度と帰らない旅に出るのだろう。 恐怖は感じない。別に寂しくもない。その場所は、猫族が最期に行き着く安住の地だという事を私の遺伝子が知っているからだ。 ただ、ひとつ心残りがあるとすれば。 私の脳裏を、真っ白な羽がよぎった。 彼女のあの羽が羽ばたく所を、私はまだ一回も見た事がない。彼女は障害物の多い住宅地の空は飛ばないことにしているらしかった。 一度でいい、一度でいいから。美しくもたくましいあの羽を力強く羽ばたかせて、彼女がふわりと空中に舞い上がる所を見たいものだ。 そして、かの地でそのうちやってくる子供たちに話してやろう。大きな羽を持った人間の事を。その匂いと色、どんなに心くすぐられたかを。 もう一度、彼女とその恋人のやさ男の顔を思い浮かべてみる。 若い二人に幸あれ。 そしてまた一つあくびをすると、私は再び眠りに引き込まれていった。
by yukino-mori
| 2009-02-28 21:45
| ちょこっと話5
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